鎌倉・江の島へ夫婦旅行 (4) 鶴岡八幡宮、目の前に北条泰時邸の遺構が公開中!
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鎌倉・江の島へ1泊の夫婦旅行をしたときのことを連載中。
今日の記事は鎌倉観光の最後。
鎌倉旅行のコース
カミサンに従って進んだ鎌倉観光のコースは以下のようなもの。
午前:鎌倉駅→鎌倉宮→覚園寺
昼食:手打ち蕎麦
午後:永福寺跡→源頼朝墓→北条義時墓・法華堂跡→大蔵幕府跡の碑→鶴岡八幡宮
鎌倉八幡宮、そして予想外の遺構に出会えました。
鎌倉八幡宮
東の門から入ったので、舞殿の前へ出ました。
ここは頼朝と関係が深い神社です。
源頼朝(大泉洋)(NHKより)
前九年の役に勝利した源頼義が、その帰りの1063年に、由比ガ浜に石清水八幡宮より八幡神を私的に勧請して創建したのが由比宮(由比若宮)。石清水八幡宮は河内源氏の氏神とされている。
それを頼朝が1180年に現在地に遷座した。1191年に大火で鎌倉の僧坊が焼失したため、社殿を整備し、正式に石清水八幡宮から八幡神を勧請した。
そのとき別当としたのが頼朝の従兄弟・円暁。源実朝を暗殺した僧です。
石段の上が本宮。石段の途中左手に、かのイチョウの木があります。
樹齢1000年の大イチョウがあったところ。
2010年に強風で倒れ、移植された木が成長しています。
3代将軍源実朝を暗殺するときに公暁が隠れていた、とされる大銀杏ですが・・。
しかしその当時、ここに大イチョウの木があったとは考えられず、江戸時代に創作されたエピソードではないか、とのこと。(参考:サライ「【鎌倉殿の13人 満喫リポート】雪の日の事件番外編」)
石段の手前に、茅の輪くぐりの自祓い所があります。
1回100円なので、カミサンと二人でくぐりました。
8の字に3回くぐるのね。
紙の人形を納めます。
石段を登って本宮。
祭神は応神天皇、比売神、神功皇后(応神天皇の母)。
この3神は八幡三神とされ、応神天皇が八幡神だとされています。
八幡神社の総本宮は宇佐神宮ですが、同神社は「古事記」にも「日本書記」にも出てこない不思議な神社です。どういう神なのかについては、過去記事にごく簡単に紹介しました。⇒謎が多い宇佐神宮と八幡神
カミサンは御朱印をいただきに。石段を下りた下に受付があります。
鶴岡八幡宮の御朱印。
北条泰時邸跡
鶴岡八幡宮の三の鳥居を出て、若宮大路を向かって左側の歩道に驚きの遺跡がありました。
「北条泰時邸跡 唯一無二 この奥」の案内板。
鎌倉幕府の第3代執権・北条泰時の館跡があるの?と思いつつ観に行きました。
北条泰時(坂口健太郎)。(NHKより)
10m位進みます。
⇒公式サイト:M'sArk KAMAKURA「1F:Remains 遺構展示」
ビル建設の際の調査で遺構が発見され、ビル所有者が自費で保存して公開しているもの。すばらしい!2016年にオープンしたようです。
保存管理者は「鎌倉 峰本」。「懐石料理と創作そば・膳料理の店」の所有です。⇒鎌倉 峰本HP
説明図。
床下に遺跡があります。
ここは「北条小町邸跡」という遺構名。
小町邸は北条義時が建てたもので、義時が住んでいた。1219年に源実朝が暗殺されると、大蔵御所(大蔵幕府)近くの大蔵邸へ戻り、泰時が小町邸に移ったそうです。
だから1221年の承久の乱のとき、泰時はこの小町邸に住んでいました。
承久の乱後、朝廷の動きを監視するため京都に六波羅探題が設置され、泰時が任じられます。(⇒参考:中世歴史めぐり「北条執権館」)
だから承久の乱の前後に泰時はこの小町邸に確かにいたようです。
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