仙台市立荒浜小学校と荒浜
今年の3月のことです。
息子と一緒に東日本大震災の被災地を巡る旅行をしました。
テレビでの情報しか知らない息子に、その目で一度は見た方がいいよ、というので親子というか男2人旅です。
岩手県陸前高田市、宮城県気仙沼市、石巻市をめぐり、さらに南下して仙台市へ行きました。
仙台市中心部から東に約10km離れた太平洋岸の荒浜地区。
荒浜には、古くからの集落と新しい団地があって、約800世帯、2200人の人たちが暮らしていました。
しかし震災で荒浜集落も松林も壊滅してしまった。
津波で186名もの方の命が奪われました。
海岸線から約700m内陸にある荒浜小学校には91人の児童が通っていました。
地震のあと、児童や教職員、さらに地域住民の方々を含め320人がここに避難しました。
避難すべき高い建物はここしかないからです。
津波は小学校の2階にまで達します。
避難した方々は4階や屋上に集まり、壊された校舎で寒さに震えながら一昼夜を過ごしました。
そして翌日3月12日に、屋上から自衛隊のヘリコプターで救出されました。
2012年10月に訪問したときの荒浜小学校の校庭。
津波で流されたバイクや農機具の墓場になっていました。
そして2012年には破壊された体育館が残っていました。
この体育館とプールは2013年2月に取り壊し。
そのとき児童や卒業生、地域の住民たち約400人が集まって「お別れ会」を開いたそうです。
⇒日本経済新聞「被災体育館に児童らお別れ 仙台市の荒浜小」
:http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1700L_X10C13A2CR8000/
荒浜小学校はその後、2011年4月から仙台市立東宮城野小学校南校舎で授業を再開。
2そして016年3月31日で閉校し、4月からは仙台市立七郷小学校に統合されました。
この校舎は震災遺構として保存し、2017年4月30日から一般公開を行っています。
とんちゃんたちが行ったときはまだ公開前でした。
⇒震災遺構 仙台市立荒浜小学校
海岸の防波堤に上ると・・・
静かな海が見えます。
このきれいな砂浜の海岸は、仙台市唯一の海水浴場でした。
でも震災後は、海水浴場として開設されていません。
仙台市が昨年、海底地形や海流などを調査し、海水浴場としての利用に問題がないことを確かめた。
それで2017年7月29、30の2日間限定で、地元の小学生に遊泳を解禁するイベントを開催したそうです。
もしもイベント中に大規模地震が起きた場合には、旧荒浜小に避難する計画で。
防波堤の手前は、木や電柱などが倒れたままです。
その中に観音像。
「荒浜慈聖観音」という観音像と慰霊碑が建っています。
像の高さは約9メートル。
ここに押し寄せた津波の高さに合わせているそうです。
かつて住宅が立ち並んでいたところ。
集落ごと流された仙台市若林区荒浜は。人が住むことが禁じられた「災害危険区域」に指定されました。
以前に住んでいた方々は、内陸部の団地に移住したり、各々別の場所に移転しています。
その中にある「里海荒浜ロッジ」。
ビニールハウスは仮のロッジで、その右手が新ロッジなんです。
ここのことを、すこし遡って紹介します。
(弊ブログ:2012年10月31日撮影の写真)
住民有志がつくる「荒浜再生を願う会」(貴田喜一代表)が、再び荒浜に戻ることを期して、黄色いハンカチの取り組みをしていました。
(弊ブログ:2013年6月28日撮影の写真)
ここは「荒浜再生を願う会」代表の貴田さんの自宅跡地。
ピザ釜をつくって、かつての住民の方々が集まってピザを焼いたりしていたようです。
(弊ブログ「仙台市荒浜地区のいま:2013年12月5日撮影」より。)
ピザ釜の後ろに、「あずまや」があって、屋外写真展がありました。
(震災日誌 in 仙台「仙台市荒浜 ”卑劣!またも放火” 「再生を願う会」の活動拠点 全焼」より)
その後2014年10月に30平米の木造の「里海荒浜ロッジ」を建てられたそうです。
ところが、2015年10月9日夜に、放火による火災で全焼してしまった。
それで隣に、さっきの写真のビニールハウスを建てたそうです。
そして2017年1月に新「里海荒浜ロッジ」を完成させたそうです。
そのことを解っていなかったので、新ロッジの写真を取り損ねてしまいました。
(「仙台の原風景を観る、知る。」より。)
そして面白いものがありました。
【会えなくなった人に思い出のメッセージを送る】ための赤い郵便ポスト。
そして緑色の電話ボックス。
【会えなくなった人に電話でお話ししてみましょう】と書いてあります。
電話線はつながっていませんから、電話機は無音です。
宮城野区の「蒲生のまちづくりを考える会」副代表の海谷弘さんが、ロッジの建設を助け、さらにこの「電話ボックス」と、「郵便ポスト」をつくって寄贈したそうです。
そしてこの電話ボックスは、岩手県大槌町にある「風の電話」から考えたものだそうです。
・・・ということも後で知りました。
この電話ボックスの中と観音像の周囲の360度のパノラマ写真があります。
⇒天国へ通話できるピンク電話【東日本大震災パノラマ】
岩手県大槌町にある「風の電話」のパノラマ写真。
⇒心をつなぐ「風の電話」
(2013年に撮った写真)
周囲は、家の基礎だけが無惨に残ってたりします。
「里海荒浜ロッジ」の周囲の様子をgoogle のストリートビューで見ると様子が少しわかると思います。
この記事へのコメント
今は家の土台が残っているだけ。
更地になっているところでは、以前の様子は全くわからなくなります。
現地に立っても、想像力がないと震災以前の暮らしを思うことができません。
それで、写真やgoogleを少し追加しました。